なぜ死亡率は低下した?――産業革命期の不衛生克服
インフラも医学も未発達だった産業革命期のイギリスで死亡率が激減した理由は?国家の意図せぬ法制度変更と、庶民の日常習慣が生み出した「偶然の公衆衛生イノベーション」を、当時の人口・死因データから検証。
18世紀初頭のイギリス都市部には、いまだ上下水道インフラが普及していなかった。つまり、飲料水や生活用水を川や井戸から汲んでくる昔ながらの生活を営んでいた。排泄物を処理する方法も、驚くほど原始的なままだった。トイレが極端に不足していたので、住民たちは家庭内にそれを溜め込んだ。そして、日常的に街の通りや川へと直接投棄していたのである。
ロンドンの18世紀初頭(1700〜1749年頃)を見よう。
- 平均寿命:わずか21歳(イングランド全国平均の40歳と比べても著しく低い水準)
- 乳幼児死亡率:約35%(1歳未満での死亡率)
- 10歳までの生存率:約50%(ロンドン生まれの子供の半数しか生き残れない)
このような過酷な死亡率は、出生数を大幅に上回っていた。農村部からの移住者を吸い上げることでしか都市の人口を維持できない、まさに都市の墓場状態だった。これはロンドンのみではなく、世界中の不衛生都市が抱える現象だ。システムを整えずに人が集まると当然こうなるのだ。
ここで、先ほど示した年代に注目してほしい。この状況でもまだ産業革命の前なのだ。第一次産業革命の期間は1760年代~1830年代だ。つまり、更にロンドンに人が押し寄せていくことになる。ただ、人は増えても上下水道インフラに変化はなかった。残念ながら、インフラが整備されたのは第一次産業革命が終わった後だった。
であれば、更に大きな都市の墓場を土台にして産業革命が築かれたのかと考えてしまうだろう。人口と共に排泄物の総量も増え続けるのだから。しかし現実は違った。人口が約55万人から約86万人に増加したにもかかわらず、平均寿命は21歳から35歳へ大幅回復していた。(1700年→1800年のデータ)
なぜ彼らは死ななかったのか。
その防壁は上下水道インフラや医学・衛生観念の進歩ではなかった。庶民たちが「日常的にすすった紅茶」が盾となったのだ。
脱ビール・紅茶普及の予期せぬ影響
歴史的に、イギリスの庶民には水分補給としてアルコール度数の低いビールを飲む文化があった。川や井戸の水は臭くて不味かった一方、ビールを飲むと空腹が紛れて動くためのスタミナになるため、子供から大人まで日常的に親しまれていた。ビールの醸造過程では水が煮沸されるため、結果的に衛生的でもあった。
しかし、1680年ごろからの度重なる麦芽税の引き上げや原料の高騰により、ビールの価格は跳ね上がり、庶民には手が届きづらくなっていった。貧しい人々は、やむなく臭くて不味い水を飲んだ。その結果、衛生状態が悪くなったことは平均寿命21歳にも表れている。麦芽税引き上げ前の1665〜1700年頃、平均寿命は29歳だったのだから。
この深刻な飲料水の問題に変化をもたらしたのが、1784年に制定された「茶・窓税法」である。この法律は、もともと119%だった茶税を一挙に12.5%へと引き下げた。中国から輸入され始めた当初はエリート層の贅沢品だった紅茶が、この減税を機に爆発的に大衆化し、1790年代以降には最も貧しい庶民でさえ1日に2回紅茶を飲むようになった。ビールと違い、茶葉に何度もお湯を注ぎ足して再利用できたことも、実質的なコストが下がって普及を加速した理由にある。
注目すべきは紅茶の性質だ。人々は殺菌のためではなく、安価に喉を潤し暖をとるために紅茶を淹れた。しかし紅茶を淹れる行為は、必然的に水を沸騰させるプロセスを伴う。紅茶の普及は、細菌の存在を知らない当時の人々に意図せぬ煮沸消毒の習慣を社会規模で定着させることになったのである。
ここで疑問が生じるだろう。
人口が急増したのに死亡率が低下したのは、ほんとうに紅茶のおかげなのか。煮沸消毒のおかげか?あるいは紅茶の成分?いやそもそも、生活水準が向上したからか?
地形が暴いた因果関係
紅茶の普及が本当に人々の命を救ったのか。この因果関係を検証したのが、コロラド大学ボルダー校の経済学者アントマンの研究だ。彼女は1725~1834年に及ぶ404の教区の死亡率データを分析した。
当時の水質の直接的な記録は残っていない。そこで彼女は、教区の「標高」と「周辺の河川数」を水質の目安とした。汚水がたまらない高地や、水の流れが豊富な地域は、水質が良かったと考えられるからだ。
分析結果は明快だった。
茶税が下がる1784年以前は、水質が良いも悪い関係なく、死亡率に目立った差はなかった。しかし、紅茶が普及した1785年以降、水質が悪い地域ほど死亡率が大きく下がったのである。中国からの紅茶輸入量と照らし合わせても結果は同じだった。紅茶の輸入量が増えるほど、水質が悪い地域は、良い地域に比べて死亡率の低下度合いが約1.4〜1.5%多かった。
これは紅茶が、汚れた水を飲んでいた人々の命を救ったことを意味している。
紅茶ではなくお湯――命を救った真因
この死亡率の低下は、紅茶の成分や生活水準の向上によるものではないのか。アントマンはこの疑問を解決するためにいくつかの検証を行っている。
1つ目は病気の種類による比較だ。ロンドンの死因別データを見ると、紅茶の輸入増に伴って減少したのは、赤痢や下痢といった水系感染症だけだった。これに対し、結核などの空気感染症による死亡には、紅茶の普及による影響は見られなかった。つまり、紅茶の成分であるポリフェノールやテアニン、カフェインなどによって免疫力が上昇したわけではないのだ。
ちなみに、ビールから紅茶への移行は、栄養面で見ればむしろ低下を意味していた。それまで庶民が飲んでいたビールには、カロリーやミネラルなどの栄養が含まれていたが、紅茶にはカロリーがほぼない。もし栄養摂取が死亡率低下の原因なら、ビールから紅茶への変化は栄養悪化を招き、死亡率はむしろ上がるはずである。
2つ目は年齢別のデータ比較だ。まずは2歳未満の乳児についてだ。わずかながら有意な死亡率の低下が確認されている。当時のイギリスでは母乳育児が主流であり、乳児が水や紅茶を直接口にする機会はほとんどなかった。それにもかかわらず死亡率が低下したのは、身近な大人の感染症が減った恩恵を間接的に受けたためと見られている。
一方で、自分で紅茶を飲む機会がほとんどない2〜5歳の幼児では、死亡率の低下は見られなかった。子供たちが紅茶を飲むようになるのは、幼児期を終えて家庭の手伝いや工場・農作業などの労働に加わり始める6歳前後からだ。食事や休憩のときに家族と一緒に紅茶を日常的に飲むようになるため、6歳前後を境に紅茶を飲む習慣が分かれていたのである。
もちろん、6歳以上の大人については、紅茶の流入と共に死亡率が低下している。この年齢別のデータ比較の結果は、紅茶を飲む・飲まないによって死亡率に差があった事を示している。つまり、社会全体に影響する様な生活水準の向上があったわけではないのだ。
さらに、天然痘ワクチンの普及や、地域ごとの賃金水準、市場への距離、他の輸入品といった要因を考慮して分析しても、死亡率の結果は変わらなかった。よって、人々を救ったのは純粋に「煮沸消毒の習慣」による水系感染症の直接的な予防だったのである。
人類の歴史を大きく動かした産業革命は、蒸気機関や紡績機といった技術革新だけで成し遂げられたわけではない。それには無数の労働者が貢献したのだ。
不衛生な都市に密集しながらも、人々が疫病で倒れずに人口を維持できた背景には、中国から届いた茶葉の存在があった。貧しい労働者が安価に喉を潤し、冷えた体を温めるために紅茶を飲むという日常の習慣が、結果として社会の崩壊を防いだのである。
歴史の大きな転換点を底支えしていたのは、意図せぬ法制度の変更と、民衆の生存に向けた合理的な行動――その偶然の巡り合わせであった。
意図せぬ法制度の変更
イギリス政府は広く国民に紅茶を飲んでほしかったわけではない。
目的はイギリス東インド会社の救済であった。当時は119%という異常な茶税が課されていたため、人々はアジア貿易の独占権を持つ東インド会社から正規の紅茶を買わず、オランダなどからの密輸が横行していた。その量は正規ルートの倍以上に達した。これではイギリス東インド会社の経営が成り立たない。
ということで、密輸業者の利益を奪って密輸ルートを壊滅させ、東インド会社を再建するために茶税を12.5%へと一気に引き下げた。
ただし、こんな法律を制定したら当然税収が激減する。ということで、減収分を補填するために「家の窓の数に応じて課税する財産税(窓税)」を増税した。逃げられやすい茶税から、窓が多い豪邸に住む富裕層から確実に徴税できる財産税(窓税)へと置き換えたため、この法律は「茶・窓税法」というのだ。
窓なんてすぐに脱税対策されそうな気がするのだが...
記事の根拠・参考文献
①Romola J. Davenport
Mortality, migration and epidemiological change in English cities, 1600–1870
International Journal of Paleopathology,Volume 34(2021)
https://doi.org/10.1016/j.ijpp.2021.05.009
②Francisca M. Antman
For Want of a Cup: The Rise of Tea in England and the Impact of Water Quality on Mortality
Review of Economics and Statistics,Volume 105, Issue 6(2023)