権利を主張した女性たち――近世オランダの法廷闘争

不平等な法制度下でも女性たちは泣き寝入りしなかった。教会や裁判所を活用し、自活と権利を勝ち取った彼女たちの法廷闘争。

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権利を主張した女性たち――近世オランダの法廷闘争
Pieter de Hooch:A Mother and Child with its Head in Her Lap アムステルダム国立美術館(PD)

1.法的な不平等
2.教会審議会の活用
3.民事裁判所の活用
4.結言

近世オランダの都市社会において女性は法的に不平等な立場に追いやられていた。なかでも道徳的に厳格であった男女関係をめぐる法において、逮捕・起訴される件数は女性の方が多かった。本来であれば男女双方が立件されるべき事象であるにもかかわらずである。

では、女性は法的に無力だったのか。公的な権利を主張することはできなかったのか。

本稿では性別による不平等な立場の実態と、自らの権利を主張するために奔走した彼女たちの実像を、裁判所や教会の公的記録から検証する。

記事の根拠・参考文献

Ariadne Schmidt and Manon van der Heijden

Women Alone in Early Modern Dutch Towns: Opportunities and Strategies to Survive

Journal of Urban History Vol. 42, No. 1 (2016), pp. 21-38 (18 pages)

https://doi.org/10.1177/0096144215610771

1.法的な不平等

16世紀~18世紀の近世オランダでは、性道徳の統制が現代よりも厳格だった。結婚前に性的な関係を持つ婚前交渉、正式な婚姻手続きなしに男女が同居する未婚同棲、不倫は、刑事事件として逮捕・起訴される罪だった。

これら性道徳違反で逮捕された被告は、刑事裁判所で裁きを受けた。1550年から1700年のロッテルダムとデルフトの刑事裁判記録によると、起訴された総数659人のうち444人(67%)が女性であり、男性の2倍以上の規模に達していた。

一般的な罰の例

罪状によって罰の内容は異なるが、ここでは性道徳違反に対する一般的な罰の例を挙げる。

  • 罰金刑
    婚前交渉や未婚同棲の初犯、あるいは支払い能力のある市民に対して科された。都市社会にとって罰金は重要な収入源でもあった。正式な裁判に至る前に金銭が伴う示談で解決されるケースも多数存在した。
  • 追放刑
    罰金を支払う能力がない貧困層、あるいは社会の風紀を著しく乱したと判断された場合に科された。都市の財政負担を減らすためにも、手っ取り早く都市外へ排除する追放刑は多用された。

なぜ、これほど不均衡が生じたのか。その背景には主に2つの要因が存在する。

1つ目は妊娠による露見のしやすさだ。妊娠や出産という身体的結果を伴う女性は、男性に比べて違反の事実が周囲に発覚しやすいという生物学的な現実があった。

2つ目は社会観念における性道徳のダブルスタンダードだ。女性は性道徳の観点から特に疑惑の目を向けられやすい存在だったのだ。法制度上も、未婚女性は25歳に達するまで父親や兄弟など成人男性を後見人とする法的管轄下に置かれていた。

刑事裁判――貧困ゆえの同居

当時30歳だったマリアは51歳男性と未婚同棲した容疑で逮捕された際、法廷で貧しさゆえと告白した。彼女のように自活が困難な貧困女性にとって、処罰のリスクを冒しての同居は切実な生存戦略でもあった。

刑事裁判所が世俗権力による取り締まりを担った一方で、近世社会にはもう一つの道徳統制の場が存在した。プロテスタントの教会審議会である。

1573年から1700年におけるオランダのプロテスタント教会記録によると、教会審議会は婚前交渉や未婚同棲といった性道徳違反に介入していた。その中で女性が告発対象となった事例は、教会が扱った性道徳違反(婚前交渉や未婚同棲)全体の60%を占めていた。

教会審議会とは

教会審議会とは、プロテスタント教会において牧師と長老(信徒の代表)で構成された自治機関である。法的な刑罰権は持たないものの、信徒の社会的信用を左右する統制権力を持っていた。

これまでは女性が告訴される側の事例を見てきた。ここからは、女性が能動的に公的な権利を主張した方法を見ていこう。

2.教会審議会の活用

教会審議会は確かに女性の性道徳違反を厳しく取り締まったが、同時に女性が不誠実な男性を告発する場所としても機能していた。婚約を一方的に破棄された女性は男性を告発したのだ。

1550年から1700年のロッテルダムとデルフトの教会記録によると、約350件の婚約不履行をめぐる争いのうち、56%は女性主導で開始している。女性が贈られた指輪や手紙、あるいは証言など、婚約の事実を裏付ける客観的証拠を提示できた場合、教会審議会は男性の説得に努めた。

男性が説得に応じない場合、審議会は主の晩餐への参加資格を保留するという宗教的制裁を科した。それでもなお男性が婚約を拒み続けた際には、問題を刑事裁判所に持ち込み、婚約不履行として法的処罰を受けさせると警告した。

主の晩餐への参加資格保留とは

主の晩餐への参加は、神および共同体に対して誠実な信徒であることの証明だった。資格を保留することは、単なる宗教的制裁にとどまらず、地域社会における信用の失墜や商取引・近所付き合いでの孤立を意味した。そのため、男性に対する強力な社会的圧力として機能した。

ただし、実際に刑事告発へ発展して決裂する事例は極めて稀であった。教会の目的は法的な処罰そのものではなく、約束通りの結婚を承諾させるか、あるいは自らの非を認めて女性の名誉を回復するための合意文書に署名させることにあったためである。

婚約不履行が放置された場合、女性は自身の性的名誉を失い、将来の結婚の機会までも絶たれるという極めて脆弱な立場に置かれた。教会審議会への訴えは、自らの名誉を社会的に回復し、生存するための切実な防衛手段だったのである。

3.民事裁判所の活用

世俗権力にも権利を訴えることができる場所があった。民事裁判所だ。

未婚の妊婦や母となった女性たちは、子供の父親を相手取り、婚姻の履行や養育費の支払い、そして自らの名誉回復を請求した。

独身女性は常に不利な立場に置かれていたという通説に反して、彼女たちは民事裁判で成功を収めていた。実際、1671年から1795年までのホラント州レイデンの民事裁判所記録によると、対象事例の判決に至った100件のうち65%において女性側に有利な判決が下されていた。

裁判において女性側の訴えを裏付けたのは、助産師と近隣女性たちによるネットワークだった。彼女たちは決して社会から孤立して戦っていたわけではなかったのだ。

当時の助産師には陣痛や出産の最中に父親の名前を尋ねる義務が課されていた。これにより、助産師は裁判における重要な証人となりえた。また近隣女性たちは、4~5人の連名で父親を特定する申立書に署名を行った。これが裁判において証拠として機能したのである。

4.結言

これまで見てきたように、近世オランダの女性たちは不利な規範に縛られることなく、民事裁判所や教会審議会を生存のために主体的に利用していた。

彼女たちは助産師や近隣女性たちとの強固なネットワークを活用し、連帯を通じて自らの権利と生活基盤を確立していたのである。

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